お母さんが「命がつきて」なくなりました

司の母が9月7日の土曜日、入院先の植木病院で亡くなりました。104歳でした

 そのため9月10日の千草会火曜コースはお休みにして、家族葬で葬儀を行いました。お世話になったのは、千草会代表の成毛佳季さんの実家が経営する坪井自然庵です。心のこもったお葬式をしていただいて、無事つとめを終え感謝しています。

母のこと

 宮崎県の山奥、球磨郡と県境で接している西米良村で、父亡き後15年くらい、一人暮らしで、田畑を小作してもらいつつ家を守ってきました。98歳の時、我が家のすぐ近くの有料老人ホームに入居して、それから6年あまりを過ごしました。

 田舎にいる頃は、春が来ればワラビ採り、干しタケノコ作りにはじまり、お茶摘みに続いて梅干し漬けというように、自然のリズムを追いかけながら忙しくしていました。こちらの施設に入ってからは、リハビリの運動と週3、4回のデイサービスを中心にした生活でしたので、もっと自然にふれあえたらより幸せだったろうなと思います。もっとも何でも前向きで楽天的な母は、デイサービスではせっせと暗算ドリルをこなして喜んでいました。

 父が単身赴任の転勤族だったので、私は田舎で家を守りながら豆腐屋を営む祖母と母に育てられて、それこそ自由気ままに育った山ザルか川ガッパです。たまに帰ってきては、しつけを意識して怒る父は煙たい対象で、反対に何でも受け入れてくれた(手に負えないので諦めていた?)母と祖母に帯する愛着は、特に長じてからは深く感じるようになっていました。それだけになんとも言えない寂寥感を感じるここ数日です。                         by つかさ

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命のつきる寿命で亡くなるということ

 私の兄はリンパ腫で肝臓も痛めたためか、いつも「イタイイタイ」と苦しんでいたため、最後は限界ギリギリのモルヒネを投与していただき、痛みを緩和しながら息を引き取りました。

 お母さんの場合は、お医者さんは「命がつきたということです」としか言わず、痛みもなく、穏やかな顔のまま、一呼吸をして息を引き取りました。

 体から命が出ていく時、体と命の波長があえば、こんなに穏やかに出ていくものなのですね。
私は長生きをしたいわけではないのですが、寿命で死ぬことがこんなに穏やかなものであれば、命のつきる寿命で亡くなり、自由な霊(たましい)となって飛んでいきたい。                              by すみこ