震災瓦礫の全国広域処理はおかしい
千草会会員からのお便り
瓦礫受け入れキャンペーンが盛んですが復興問題の情緒的なすり替えによって正当化されつつあります。国際基準値(100ベクレル/kg)を大きく上回る高濃度汚染(8000ベクレル/kg以下)を有した瓦礫がいつの間にか問題無しとされ、各自治体議員の無責任な熱意もあって、無事だった西日本にもいよいよ放射能汚染の魔の手がおよび始めているという現状です。
この国はいったい何処へ向かっているのでしょうか? これは私たちの子孫にとっても未来永劫におよぶ深刻な問題のはずです。使用済みの核燃料でさえ生命への危険がなくなるまでには10万年という、途方もなく、およそ責任の果たしようのない期間におよぶ管理が必要であるという事実は、すでに共有された情報ではなかったのでしょうか。
しかしながらもっとも驚かされるのは、この現状に対して殆どの生活者が無関心でいるようにしかみえない、という現実です。もちろん、世の中は脱原発ムードといわれ、全国的に数千人規模のパレードや集会が頻繁に行われるようになりました。瓦礫問題に対しても一部の市民団体や個人は国や自治体に対して声を上げていますが、それでも国民全体でみるとわずか数パーセントの少数派に過ぎません。実際、あなたの近隣や職場などの生活圏で出会う人々はどうでしょう? マスコミを通じて知る不条理な現状に対して不平や不満を言う人は多いでしょう。しかし、そのなかで具体的にアクションを起こす人は、いったいどのくらいいるのでしょうか。
3.11から1年が経ち、放射能汚染地域から遠くはなれたここ九州でも、予想以上にこの無関心・無責任という“魔物”が跋扈(ばっこ)しています。この“魔物”は日本中に巣くっていて、うっかりすると自分の中に棲みついてしまう恐ろしい感染力をもっています。この“魔物”にうち勝つ最も効果的な処方は、それぞれが「当事者になる」ということです。当事者になれば危機感が生まれ、もはや無関心・無責任ではいられなくなるでしょう。その意味では、瓦礫の広域処理キャンペーンによって放射能汚染が全国民の身近な問題になった今は、全国的に当事者意識が発動するチャンスといえるかもしれません。
※福島で被災した有機農家の須藤さんは、「福島の人は瓦礫を福島から出す事を誰も望んでいないと思う。放射能に苦しむのは私達で止めたい」と言っていました。